連日、熱戦がつづく春のセンバツ甲子園。今大会、大きな注目を集めたのが、初出場の沖縄・エナジックスポーツ高等学院だ。ただでさえ目を引くカタカナの校名に加えて、69歳の指揮官のベンチでの独特の装いや、「ノーサイン野球」も注目を集めた。そんな“ナゾの初出場チーム”が大舞台にいたるまでの道のりとはどんなものだったのか。また、甲子園に残したものはなんだったのだろうか。《全2回の1回目/つづきを読む》
青い帽子を被り、サングラスとマスクを着用している。ユニフォーム姿で甲子園のベンチにいなければ誰だか皆目見当もつかない。
そんないで立ちでチームを見守っていたのが神谷嘉宗である。

甲子園で歴史的1勝…指揮官は69歳!
「変装しているわけではないですよ」
神谷が報道陣の笑いを誘い、“変装”の正体が花粉症対策であることを明かす。
今年のセンバツで話題となった、カタカナの甲子園初出場校――エナジックスポーツを率いて歴史的な1勝を挙げた監督の素顔は、肌につやと張りがあり、今年で古希を迎えるとは思えないほどである。
「忘れてたのに、言わないでよ」
かつて浦添商の監督として2008年夏にベスト4、14年のセンバツでは美里工を春夏通じて初めての甲子園へと導いた。そして、沖縄で実績を成した監督は、21年に創設されたエナジックスポーツで新たなキャリアを歩むことを決めたのである。
22年に誕生した野球部の監督を引き受けた時点で66歳。「同級生はみんな、ご隠居さんですから」と話す神谷が新設校を指揮すると決めた熱量は、実に真っすぐだ。
「生涯、青い春」
即座に答えてくれたかと思えば「冗談だよ」と照れ臭そうに笑い、想いを打ち明ける。
「子供たちと一緒に夢を追えることが、一番の幸せですからね」

「沖縄の力」で「3年以内に甲子園」?
神谷にとっての“アオハル”とは、「沖縄の力」を高めることである。エナジックスポーツの監督就任時から「3年以内に甲子園」と、あえて退路を断つように大きく宣言したこともその一環であるはずだ。
だが、いくら沖縄での経歴が長い神谷とはいえ、一から組織を作り上げる過程で当然のように荒波にもまれた。
そのひとつが――選手の獲得だった。
<次回へつづく>